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January 10, 2019

「クリードⅡ」=「奎迪:英雄再起」 ライアン・クーグラーは関係ないんじゃん。

「クリード2」は「炎の宿敵」というサブタイトルなのね。

ロッキーは架空の人物なのに、みんな彼が実在していると思ってるんじゃないか、くらいな人気者で。ロッキーの物語がスタローンのアメリカンドリームとも重なって夢が広がるからだ。長年ロッキーと共に年を重ねてきたものは、今度は若きクリードに次世代を重ねる。でも、これは映画なんだよね。

この映画を見るにはどうしても裏表がちらつく。めんどくさいところが気になって仕方がなかった。

まずは裏面。前作は新人ライアン・クーグラーが「俺の考えたロッキーの続き」にスタローンが心揺さぶられて支援した「あとは任せた」企画だ。これが大成功し、老齢ロッキーはボクサーとして引退しても、物語の中で生き続ける=次世代継承という発明がすばらしかった。脚本監督のクーグラーと、主演マイケルの才気が爆発して、燃える映画になった。それは確かだ。僕も大好きな1本となった。
そしてクーグラーは次作「ブラックパンサー」で世界最大級のヒットを飛ばし、ハリウッド第一線に躍り出た。まさに40年前、スタローンが「ロッキー」で高く評価されたアメリカンドリームのように。でもクーグラーはクリード続編には帰ってこなかった。脚本にも名を連ねていない。マーベルがいそがしかったんでしょうが、僕はひねくれてるのでこう邪推する。彼にとっての「ロッキー=クリード」はサクセスをつかむための踏み台企画だったんだ、と。一発あがったんだから、アドニスの次の話なんて俺がやらんでもいいだろ、と考えたんじゃないか、と。でも、せっかく当たった新キャラだ。続きを観たいお客さんもいるわけで、クリード次作はこうして動いたわけです。んで、結局「炎の宿敵」の製作脚本はスタローン御大となった。監督を若手(クーグラーの知人)に譲ったのは、また新たな才能にでてきてほしい、じじいの思いなんじゃなかろうか。
アドニスの物語がロッキーとさらなるシンクロをするために、ドラゴ親子を引っ張り出した結果、映画はクリード2であると同時に、ロッキー8(7?)となった。

表面はもっとよろしくない。最近の映画はリブートやら数十年ぶりの続編とか、いろんな形で「続き」が作られるが、僕には大半が「公式二次創作」のように思えるのね。最近の映画は、ですよ。
最たるものが「スターウォーズ」で7以降全部二次創作に見える。ルーカスとは関係のないところで「会社都合の続き」が展開してるからだ。もう次世代に譲りましょう、と腹をくくった方向性の正編(7,8)はまだしも、「ローグワン」「ソロ」は「もしもこうだったら…」という同人誌みたいな発想はどうだろう。それを公式に出てきてしまったのだから、腹落ちしづらい。「ローグワン」に限ってはEP4へのツボが多すぎのオヤジコンテンツなので好きですけど。
公式が提供する「続き」は受け入れざるを得ないんだけど、本当にそれが好きなのか、美味なのかは微妙だ。
脱線するけど、中学生の時に忽然と姿を現した「新巨人の星」という公式続編があった。投げられなくなって失踪した飛雄馬が戻ってくる話だ。球界を去ることが美学だった主人公が野球を捨てられなくて草野球の助っ人をやってる…という冒頭には涙したけど、「実は右で投げられる」というどでん返しには愕然としたわけですよ。なんだったんだよ、父ちゃん! 公式が出してくるから正しい…ということに疑念を持ったのもこのときだ。そんなに目を吊り上げなくても、と言われそうだが、「沖田艦長は死んでなかった」に興ざめしたのを忘れてない。「ジョーは真っ白に燃え尽きたけど、実は……」なんて話は読みたくない。続編やらゲーム化やら、こういうのをついついやってしまうのを何度も見てきた。で、ロッキーシリーズ(そう、クリードは組み込まれてるわけだ)は同じところにいる。
話は戻る。
クリードという新キャラを創造したことで、ロッキーは続きを語れることになったわけだ。今回はさらにドラゴの息子、というライバルも登場した。このあと、アドニスはクラバーの息子と戦ったり、サンダーリップの甥っ子とエキシビジョンをやったり、老齢ロッキーとエキシビジョンやって恥をかいたチャンプからまたまた挑まれたりするんだろ。その間にドラゴの息子と友情を育みパンツを交換したりするんだろ。途中でロッキーは死ぬんだろうし。どこにでも顔を出すサイモン・ペッグがちゃっかりイギリスから来た天才トレーナー役で出てきたりしてな。ついでにアドニスの娘はボクサー目指してミリオンダラー・ベイビーになるのだろう。
そういう風になるのだったら僕はやだなー、ということです。

「炎の宿敵」は上海で2D英語音声中文字幕で観た。一点を除いて想定以上のことが起きない映画だから、観ながらずっと上記のようなことを考えていたのですw。
でもやっぱりあの音楽が鳴るとなー。これぞ公式の強みですよ。あれが鳴った途端に、正座しなくちゃ、みたいな気持ちになるのだ。
スタローン脚本でアドニス本人の物語は平板だ。モチベーションを失う、なんてつまらない展開だ。アドニス家の複雑な話は前回クリアしてるから今回は葛藤があまりない。アドニスはアポロの婚外子なのでお母さん(アポロの奥さん)とは血縁はないんですね。これがもう普通に「ママ」と呼び合う仲になっちゃってる。
そのぶん映画はドラゴ親子のドラマに悲しみの花を持たせた。これはスタローンの思いもあるんだろう。彼はこれで大ヒットしたのに叩かれた「ロッキー4」を畳んだんだろう。これはよかった。
それにしてもこれは「ボクサー種族」の呪われた家系の話のようだ。バルボア家、クリード家、ドラゴ家。戦うことだけが宿命の呪いがかけられていて、登場人物たちはほとんどは常に苦悩し、笑顔をまったく見せない。
想定を覆した一点とは、「母さん」です。前情報なかったので、これにはのけぞった。

あと、キルモンガーとヴァルキリーは晴れて夫婦となったのでありました。とさ。

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